「教えることとは」ふっと考えた。

風邪を引いた。熱でうなされながら、ふっと私は生徒に何を教えたいのだろうかと考えた。

私が生徒に教えたいことは
学校で教わる内容ではない。
高校入試などの受験の合格する技でもない。
もちろん、難しい問題を解ける先生だと教えているわけでもない。

毎回の授業で、問題の解き方を教えている。
では教えたいことは、問題文から条件を浮かび上がらせる、条件の意味を考え、解決したい課題との接点を見つける。
その道筋や考え方や発想の仕方を教える。

これは確かに重要だ!でも、これこそが、君の教えたいことかと言われると、
いいや違う!それもあるだろうが、本質ではない。

では、教えることは
問題を解くことを通して、発想の柔軟さや視野の広さを身につけて、生きる力を伸ばしてやること。

何か良さそうである。この先生は人格者だなどともてはやされるかもしれない。
でも、それはどうも偽善っぽい。
毎回の授業で1問1問そんな風にはできないし、この生徒のためにと思って教えていたとしてもやったことが正しい可能性は多くない。
教えることはそんな大それたものではないし、学習はそもそも教わる側が何を学ぶかを決めているのである。

本当に教えたいことは、
「私自身がわからないことを・知らないことを教えたい」のではないかと思う。

教えることは個人の作業ではなく、教わることであると思う。
文化が価値観の融合により新しい世界が生まれたり、メタレベルがアップするのと同じように、 共同学習によって、新しい見地が現れたり、発想が浮かぶ。

もっと多くの教えと教わりの環境を作ることが必要なのである